マイティ井上選手の想い出

プロレス

私にとっては渕正信選手のライバル

マイティ井上選手は、1967年国際プロレスでデビュー、1974年には同団体の看板タイトル「IWA世界ヘビー級王座」を獲得してエースレスラーとして活躍します。

1981年国際プロレス崩壊後は全日本プロレスに移籍し、超ヘビー級という訳でもなかった井上選手はジュニアヘビーに階級を落として実績を更に積んでいきます。

私が初めて見たときは世界ジュニア王座をめぐって、先日ご紹介した渕選手とタイトルを争っていました。

和製マットの魔術師

この「異名」が好きで特に記憶に残っています。プロレス名鑑かなんかで読んだのだと思いますが、同じく国際プロレスの寺西勇選手も「和製カーペンティア」と紹介されていました。

井上選手も、寺西選手も技巧派のレスラーですから似た名前を付けても良いですけど、同じ団体で被っていても構わないという大らかさと、「和製」という響きが昭和な良い感じです(^^)

ちなみに「本家のマットの魔術師」はエドワード・カーペンティアという、井上選手よりもう少し前の時代にアメリカで活躍した選手です。体操選手から転向してアクロバティックな動きを得意としたようですが、残念ながら実際に動いているカーペンティア選手を見たことはありません。

全盛期を過ぎてからの来日で井上選手とも対戦、井上選手の勝利に終わったようです。

独特な技の使い手

井上選手の代名詞的な技というと

サマーソルトドロップ
(倒れている相手に対して自身が前方宙返りして背中をぶつける)

オースイスープレックス
(両腕を後ろから掴んでそのまま背中を反らして丸め込む)

の2つが頭に浮かびます。どちらも良い意味で「柔らかい」、厳しい言い方をすると説得力の薄い技なのですが、井上選手が使うと不思議と成立する、唯一の存在感というか、こういう技を上手く使える良い選手だったと思います。

独特と言えば、レスリングタイツも独特な色で、赤や黄色のイメージが残っていますが「それがマイティ井上らしさ」だという人もいれば、「どうにも受け付けない」という人もいましたね。

引退後はレフェリーに転身

1998年に現役引退してレフェリーに転身。全日本プロレス、ノアで活躍されました。若手時代にヨーロッパ遠征を経験した井上選手ですから、英語を生かして外国人係だったのも記憶に残っています。ただ、レスリングは上手かったですが、レフェリングはあまり得意ではなかったと思いますね(^^;)

全日本プロレス時代も好ファイトを残した井上選手ですが(私は全日本プロレス時代しか知りません)、キャリア上はやはり国際プロレスでエース格として活躍されていたころが頂点となります。私より上の世代の方は国際プロレス時代の方が思い出深いのではないでしょうか。

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