愛称は「熊さん」
プロレスラーの「想い出」で一番に取り上げたかったのは、大熊選手です。
大熊選手は、大相撲を経て1962年日本プロレスでデビュー。デビュー当時は「大熊熊五郎」というリングネーム(日本プロレスは妙な動物のリングネームが流行った時期があります)でした。
ジャイアント馬場選手とつながりが強く、全日本プロレスには旗揚げの1972年から参加。1992年51才で亡くなるまで全日本プロレスで現役を通した選手でした。
愛称は「熊さん」で、優しいお人柄が滲み出た方でしたが、結構顔面は怖い系です。同じく顔が怖かったグレート小鹿選手と組んだ極道コンビはかなり有名ですし、永源遥選手、渕正信選手とのトリオ「悪役商会」もとても人気がありました。
小橋建太選手のデビュー戦の相手を務めたり、アンドレザジャイアント選手の最後の相手(大熊選手にとっても最後の試合)だったりと、やはり馬場さんの信頼厚かった大熊選手は記録からも振り返ることが出来る選手だと思います。
プロレスラーはお客さんを沸かせるのが仕事だ
大熊選手に思い入れがあるのは「父が一緒に飲んだことがある」というのが一番だと思います。
プロレスにのめり込んだことがあって、ある程度の年齢の方は誰でも経験したことがあると思いますけれど「プロレスって本当なの?」というの疑問に対して、大熊さんの答えが「プロレスラーはお客さんを沸かせるのが仕事」というものだったそうです。今振り返っても、プロレスラーの誠実な答えの一つだと思います。これも経験ある方もいらっしゃると思いますけれど、黙って「ヘッドロック」という日もあったようです。
お酒好きなエピソードも沢山ある大熊選手ですけれど「45歳過ぎたらとにかく身体をよく動かすこと」と綱島と五反田を往復ランニングしていたエピソードも記憶に残っています。
今も胸熱くさせるヘッドバット
悪役商会時代は「グリコポーズ」でリングを走り回るアクションが人気を博した大熊選手ですが、そのときも「ヘッドバット」が私は好きでした。ハンセン戦、長州戦などはチラホラ見ることが出来ますし、「らしさ」溢れるファイトを展開されています。興味を持って頂けたら是非ご覧ください。きっと今のプロレス同様楽しめると思いますよ。
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